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猫の検疫体験記~ワクチンの失敗~

 2006年九月十二日(アメリカ太平洋時間)。その晩、私はいつものようにテレビを見、ダンナはネットしていた。猫たちは先程走り回っていたため疲れたのか、みんな眠っている。と、突然、ダンナが叫び声を挙げた。

「おい、やばいぞ!」

「どうしたの?」

「ワクチンの種類を間違えた!」

「どういうこと!?」

 狂犬病のワクチンには二種類あり、liveと呼ばれる生ワクチンと、killedと呼ばれる不活化ワクチンが存在する。そのうち日本の検疫で有効なのは不活化ワクチンなのだが、うちの猫が打ってもらったのは、いずれも生ワクチンだった。

 ちなみに、ワクチンの種類を間違えるというミスは、検疫でよくあることらしい。ダンナがネットで見た情報にそう書いてあった。

 一瞬、頭の中が真っ白になったが、やり直すしか方法はない。明日の朝イチで動物病院に電話し、事情を説明して、ワクチンを打ち直してもらうことにした。これまでの苦労が水の泡である。私たちに残された時間は、刻々と無くなっていった。

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猫の検疫体験記~二回目ワクチン注射と血液検査~

 2006年九月五日(アメリカ太平洋時間)。再び動物病院へ行った。前回のワクチン注射から一ヶ月経ったので、第二回目のワクチン注射をするのと、狂犬病抗体を調べる血液検査のためだ。この血液検査の数値が規定より下回っていないと、日本に入国できない。血液検査のできる機関はカンザス州など限られた州なので、結果が手元に届くまでに一ヶ月以上かかると聞いた。私たちが今度こそ完全に帰国する予定日、十一月十四日まであまり余裕がない。

 いつものように、猫たちを二匹と三匹に分けて犬用ケージに入れ、ワゴンタクシーで動物病院へ。受け付け後、すぐに体重測定と体温測定を行った。

 仔猫たちは四匹ともおとなしかったが、母猫グゴが、再び修羅ぶりを発揮し、低く唸り声を上げて暴れた。見かねた獣医さんが、「テクニシャン」と呼ばれる助っ人を頼んだ。このテクニシャン、若い女性だったが、グゴの首根っこをすばやく押さえ、完全に動きを封じ込める手つきはさすが。さしものグゴも、されるがままだった。

 グゴが終わったら、今度は仔猫たちの番だ。モニカ、ブールヴァード、ピコと続き、最後は唯一の男の子、サンタ。サンタを見たとき、獣医さんが一言。

「この子がダッド(お父さん)?」

「いえ、仔猫です」

「ホント!? 大きいわねぇ」

 サンタは生後半年の現時点で、他の仔猫より一回り以上大きかった。そしていよいよ、第二回目のワクチン注射と採血だ。私たちは身構えた。

 ところが「あなたたちは外で待っていて」と言われてしまった。飼い主は常にペットのそばに居なければならないと思っていた私たちは、ちょっと拍子抜けした。

 獣医さんの叫び声や、グゴの暴れる音が聞こえやしないかとヒヤヒヤしながら待つこと三十分。「終わったわよ」と獣医さんが診察室から出てきた。その表情は、心からホッとしている様子。診察室の中で何があったのか、知りたいような、知りたくないような……。

 私たちは受付に行った。これから直ちに採取した血液をカンザス州の政府機関に送り、検査してもらうのだ。ちなみに、今日のお会計は1380ドル(約十五万円)だった。思わず鼻血が出そうになったが、お金がかかるのはまだまだこれから。覚悟しておかねばなるまい。だが、とりあえずこれで二回のワクチン注射と、血液採取が終わった。あとはカンザス州から血液検査の結果が送られてくるのを待てばいい。私たちは大仕事を終え、ホッと一息ついた。

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猫の検疫体験記~そして再入国~

 2006年八月十六日(アメリカ太平洋時間)。私たちは再び十時間のフライトの後、アメリカに再入国した。今度は観光ビザだ。これでまた三ヶ月間、滞在することができる。

 アメリカ太平洋時間の八月十六日午後一時、ロサンゼルス国際空港に到着。その足で直接、動物病院に向かった。猫たちを引き取るためだ。

 私たちがわずか三十数時間の帰国の後、アメリカにとんぼ返りしたことを話すと、獣医さんたちは目を丸くして「信じられない!」と言った。

 ケージに入った猫たちは皆、慣れない生活のせいか相当ナーバスになっており、震えながら鳴いていた。それでも、アパートに帰ってしばらくすると、仔猫たちはいつもの調子に戻った。問題はグゴ。相変わらずピリピリしていて、仔猫が近づくと威嚇する。

 預けられるのがよほどいやだったんだろうなぁ。

 ごめんよ、グゴ。

 グゴはとりあえず放置して、自然に機嫌が直るのを待つことにし、私たちは簡単に食事を取って仮眠を取ることにした。とにかく疲れていたのだ。

 明日からの三ヶ月間で、猫の検疫準備をすべて済まさなければならない。時間との戦いだ。いろいろな考えが頭を駆け巡る。が、そのうち泥のような眠りに落ちていった。

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猫の検疫体験記~日本上陸~

 2006年八月十五日、日本時間午後三時半。私たちは無事、成田空港に着いた。外は蒸し暑く、「日本の夏」を実感した。これから、空港近くのホテルに一泊するのだ。本当は都内の自宅まで帰りたいところだったが、そうすると帰宅が三時間後になるし、翌朝とんでもない早起きになるしと慌しいことこの上ない。そこで空港からは出ず、近くのホテルを取ることにしたのだ。

 空港から出ている直行のリムジンバスに乗り、間もなくホテルに到着。すぐにチェックインして、部屋で思う存分タバコを吸った。私たちは二人とも喫煙者なのだ。タバコの吸えない機上はつらかった。

 付け加えると、アメリカでも私たちは普通にタバコを吸っていた。アメリカは確かに「室内は」完全禁煙だが、屋外では話は別だ。飲食店でも、玄関脇に灰皿が置いてあったりする。アパートも、室内で吸えば火災報知器が鳴るため、住人は皆、ドアの外に灰皿を置いてタバコを吸っていた。冬でもそうだ。暖かいカリフォルニアには感謝したい。

 話が逸れたが、こうしてホテルに無事着いた私たちは、しばらく部屋で休んだ後、一階の中華料理店で念願のラーメンを食べた。アメリカで日本食に飢えていた私たちにとって、それは極上の一品だった。

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猫の検疫体験記~一時帰国~

 困ったことが起きた。

 ロンドンのヒースロー空港で、テロ未遂事件が起こり、空港はどこも厳戒態勢に。水一滴、機内に持ち込めないとのこと。機内食は普通に出るだろうから、食事面では問題ないだろうが、税関のチェックが厳しくなるのは避けられない。

 再入国するとき、「どうしてすぐに再入国したんだ?」と理由を聞かれたとき、「検疫のためです」とうまく説明できるだろうか。いざとなったら、先日、獣医さんに書いてもらった書面を見せればいいだけなのだが。

 航空チケットも何とか取れたものの、やはり旅行シーズンということで、安い航空会社のエコノミークラスは満席。比較的安い、シンガポール航空での帰還となった。それでも、ハイシーズン料金のため、二人で往復五十万円だ。大金である。

 また、帰国する日の朝、動物病院に猫たちを預けることにしたのだが、ケージ一つにつき、一泊百ドルかかるという。まぁ、これはいたしかたないだろう。

 2006年八月十三日(アメリカ太平洋時間)。

 午前五時に起床し、簡単な朝食をとった後、身支度を整えた。そして猫たちに朝のトイレをさせてから、先日のように犬用の巨大ケージに二匹と三匹に分けて入れた。

 午前六時、タクシーを予約。カリフォルニアはニューヨークと違って流しのタクシーはおらず、タクシー会社に電話して呼ぶしかない。しかも、カリフォルニア時間というか、のんきなのでなかなか来ないのだ。

 午前七時過ぎ、タクシーがアパートに到着した。私が自分とダンナのトランクを引きずり、ダンナは両手にずっしりと重い、猫が入ったケージを持って、タクシーに乗り込んだ。

 午前七時二十分、病院に着いた。病院は午前八時からの営業なのだが、前日、予約を入れていたため、中にいた人が私たちの姿を見て、すぐにドアを開けてくれた。タクシーはそのまま病院の駐車場に待たせ、猫の入ったケージを運び込んだ。しばしのお別れだ。猫も異変を感じているのか、おとなしすぎる。

「ごめんね。明後日、また迎えに来るから」

 獣医さんに挨拶をした後、後ろ髪を引かれる思いで病院を後にし、再びタクシーに乗り込んだ。空港はテロ未遂事件の影響で、どんな厳戒態勢になっているのだろう。私たちは不安でいっぱいになった。

 タクシーがロサンゼルス国際空港に到着した。だが、空港は拍子抜けするほどのんびりしており、厳戒態勢のゲの字もなかった。早々とチェックインできてラッキーだった。さぞかし荷物検査や身体検査で時間を取られるだろうと踏んで、余裕を持ってきた私たちだったが、思い切り時間をもてあますことに。なんと搭乗時間まで、あと三時間以上もある。

 バーに行ったり、持ち込みできないものが多すぎて何も買えない免税品店を冷やかしたりして時間をつぶし、十二時前、やっと搭乗口に並んだ。

 が、私たちのチケットを機械に通したところ、なぜかエラー音が。係員がオロオロしている。すぐに別の係員がやってきて、新しくチケットをくれた。どうにか飛行機には乗れるらしい。

 驚いたことに、案内された席はビジネスクラスだった。ダンナの推理によると、航空会社がダブルブッキングしてしまい、代わりの席がビジネスクラスでしか見つからなかったのではないか、とのこと。これは嬉しいハプニングだ。片道十時間以上の長旅を、快適なビジネスクラスで過ごすことができる。

 初めて座ったビジネスクラスのシートは、ほぼ水平に倒すことができ、足を延ばして眠れた。また、食事内容もエコノミークラスとは違っていて、陶器の食器に料理が盛ってあった。ステーキを頼んだはずが全然違うものが運ばれてきて、困惑していたら、それは前菜だった、ということもあった。音楽プレーヤーの類が持ち込めなかったため、退屈ではあったが快適な十一時間だった。

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猫の検疫体験記~帰国に向けて始動~

 2006年七月二十七日(アメリカ太平洋時間)。
 今日わかったことだが、ビザの関係上、八月十五日には帰国しないとまずいらしい。ビザ延長の手続きが失敗した以上、従うしかない。もし従わなければ、不法滞在になってしまう。
 だが、猫はどうする? 検疫を済ませない限り、日本に帰国するのは不可能だ。
 そこで、私たちは苦肉の策を思いついた。八月十五日にいったん帰国し、一泊してまたアメリカにとんぼ返りするのだ。これなら、観光ビザであと三ヶ月間滞在できる。今はハイシーズンで航空チケットが一番高い時期だが、そんなことは言っていられない。
 観光ビザで再入国してから、二度目のワクチン注射をし、血液検査を行い、帰国に向けて準備すればいい。
 なにやら、身辺がにわかに忙しくなってきた。

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猫の検疫体験記~検疫準備開始~

 私たちはまず、ネットで農林水産省の検疫のホームページにアクセスした。そこには、海外から日本に動物を持ち込む際の手続きが書いてあった。

 それによると、まず、動物にマイクロチップを埋め込むこと、健康診断をすること、一カ月おきに計二回、狂犬病のワクチンを打つこと、さらに血液検査をすることなどがわかった。

 そして何より私たちを驚かせたのが、二回目のワクチンから数えて、半年もの間待機していないと日本に入れないことだった。いや、物理的には入国できるのだが、検疫所に半年が過ぎるまで係留されてしまうのだ。

 どう考えても、私たちには時間が足りなすぎる。だが、そんなことを今さら言ってみても始まらない。少しでも検疫期間が短くなるよう、ひとつひとつ慎重に片付けていくしかない。

 まずは動物病院を探すことから始めた。ダンナと協議した結果、数ヶ月前にモニカが足をくじいた際、お世話になった病院に決めた。

 とりあえず、英語の話せるダンナが電話してみたのだが。

 案の定、こんな小さな街の動物病院で検疫どという経験はなく、「検疫」という言葉の説明から始めなければならなかった。長々と電話で打ち合わせしたあと、ダンナがため息をついた。

「マイクロチップ、ワクチン二回、血液検査、合計で一匹につき八百ドルかかるって」

「てことは、五匹だから、四千ドル……」

 当時の為替レートで、約五十万円の大金だ。アメリカの口座の貯金がほぼなくなるだろう。だが、これから思いもよらない理由で途方もない大金が飛んでいくことになるのを、私たちはまだ知らなかった。とりあえず、病院へは、マイクロチップを埋め込み、第一回目の狂犬病ワクチンを注射する日を予約した。

 

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猫の検疫体験記~始まりは一通のメールから~

 白っぽい陽射しが、肌をじりじりと焼く。2006年七月十七日(アメリカ太平洋時間)。私たちがサンタモニカに来てから、はや七ヶ月が過ぎようとしていた。ダンナはもうすぐアメリカの会社との契約が切れるため、帰国するか、それともビザを延長するかの選択を迫られていた。ビザの延長手続きは、会社が一括してやってくれている。

 私はいつものように午前五時に猫たちに起こされ、簡単な朝食をとった後、ネットしていた。やがてダンナが起きてきたため、私はパソコンを代わった。

 すると、メールチェックしていたダンナの顔色が見る見る変わり、大きな音で舌打ちをした。

「どうしたの?」

「会社がビザの延長手続きに失敗した」

「えっ! じゃあ帰国するの?」

 ビザの延長ができなくなった以上、帰国するしかない。だが、ビザ延長が通ると思っていた私たちは、帰国の準備を何もしていなかった。

 ビザの期限は数日前に切れている。ビザの期限が切れても、一ヶ月は猶予を与えられるのだが、その期限まで、あと一ヶ月弱。引越しの準備ならすぐにできる。だが、猫たちをどうするか……。

 私たちの心を見抜いたのか、仔猫たちが鳴きながらすり寄ってきた。

 

 置き去りにするなんて、とてもできない。

 私たちの心は決まった。

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猫の検疫体験記~プロローグ~

 2005年十一月、ダンナがロサンゼルス国際空港に向けて飛び立った。アメリカ人の友人からの依頼で、九ヶ月間、仕事を手伝ってほしいと言われたからだ。遅れて同年十二月、私もまたダンナの待つ現地へと向かった。

 私たちが住むのは、ロサンゼルスの南に位置する、サンタモニカという街だ。ビーチがきれいなことでよく知られている。

 アパートは、ビーチから車で二十分ほどのところ。近くにサンタモニカ・カレッジがあり、世界中から集まった留学生が住んでいる。

 動物を飼っている部屋も多く、朝夕敷地内を犬を連れた人が散歩していた。野良猫も数匹いたが、冬でも温暖な気候に加え、アパートの住人の誰かしらが食べ物を提供してくれるため、みんな元気そうだった。

 

 私たちがその猫と運命の出会いを果たしたのは、2006年一月十九日のこと。朝、ドアを開けたとたん、耳としっぽがグレーで、カリフォルニアの空のように青い瞳をした白猫が、スルリと入ってきたのだ。

 しばらく部屋の中を探索したあと、食べ物が欲しいのか、ゴミをあさったり、シンクに入ったり、やりたい放題。私たちをさんざん引っ掻き回したあげく、野良猫にあげようと思って買い置きしていたキャットフードをげっぷが出るまで食べ、ベッドの真ん中で昼寝して帰って行った。

 その後、白猫はぷっつりと消息を絶ってしまったのだが、二月五日の朝、私がゴミ捨てから帰ってドアを開けた瞬間、ものすごいスピードで部屋に入ってきた。

 その日からなんとなく白猫はうちに居座るようになり、まだ飼うとも決めていなかった私たちだが、食べ物と寝床を提供するようになった。そして白猫は、機嫌がいいとグゴグゴ喉を鳴らすことから、『グゴ』と名づけられた。

 その五日後。

 なんだか最近、急に太ったな……と思っていたところ、なんとグゴは日付をまたいで出産した。二月十日から十一日にかけて、合計四匹の仔猫を生んだのだ。

 長男はオレンジがかった茶色と白の、体の大きな子。長女は母親譲りの白猫。次女は黒の多い三毛猫。三女はミルクティー色と白の体の小さな子。

 私たちは現住所名を、仔猫の名前としてつけた。

 上から、サンタ、モニカ、ピコ、ブールヴァード。

 私もダンナも仔猫の出産に立ち会うのは初めてで、こんなに小さい仔猫が全員無事に育つのだろうか……と気が気ではなかった。

 だが、母猫グゴの献身的な子育てにより、四匹はすくすくと育っていった。仔猫の成長ぶりに目を細める私たちだったが、胸の奥に、ある疑問がわいていた。

 この猫たちは、私たちが帰国するとき、どうなるのだろう。

 連れて帰るべきか、でも、どうやって?

 人間二人と猫五匹の、長い戦いが始まった。

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猫の検疫体験記~まえがき~

 「検疫」という言葉を聞いたことがありますか? 

 よく、海外旅行から帰国した人が、果物やハムなどを国内に持ち込もうとして「検疫に引っかかった」などというニュースを聞きます。

 今回、このブログで取り上げるのは、動物を入国させる際の検疫です。

 犬をはじめ、猫、きつね、あらいぐま、スカンクなど、ペットとして親しまれている動物は、狂犬病ウイルスに感染している可能性があるため、動物を輸出入する際、検疫が必要となります。

 狂犬病とは、ウイルスに感染している動物に噛まれたりした場合にかかり、発症すれば100%死に至る、恐ろしい病気です。

 日本では五十年以上発症例が報告されていませんが、アメリカを始めとした大多数の国では、現在も年間たくさんの人間の命を奪っています。

 そのような狂犬病ウイルスを国内に持ち込ませないため、数少ない狂犬病未発症国である日本は、特に厳しい体制を取っているのです。

 近年のペットブームで、東南アジアなどから病気の仔犬を密輸する悪質業者などが増えたため、2005年、検疫制度はさらに厳しいものになりました。

 私たちが検疫体験をしたのは、その新制度が施行された後の2006年。

 ネットで検疫体験を検索しても、情報が新制度施行前のものだったり、または全く情報が見つからなかったりで、まさに手探りの状態でした。

 検疫制度は、恐ろしい狂犬病から国民を守る、大切な制度です。

 と同時に、手続き次第では、膨大な時間と莫大なお金のかかる、飼い主泣かせの制度ともいえます。

 

 この体験記によって、少しでも多くの方に、「検疫制度」がどういうものかを知っていただければ幸いです。そして、これから海外に行く方、現在動物を飼われている方、また、これから動物を飼おうと思っている方に読んでいただけて、お役に立ったとしたら、これ以上の喜びはありません。

 検疫で泣く飼い主さんが、一人でも減りますように。

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